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2021/01/29

2年・平和学習講演会

| by 校長
 1月29日(金)、2年生が平和学習として、亀井カノンさん、亀井浩さんを講師にお招きし、津の大空襲についてお話を伺いました。

 浩さんのお父さんであるカノンさんは、津が空襲に遭った1945年(昭和20年)当時、国民学校(現在の小学校)の2年生。当時の学校の様子を思い出し、松阪の国民学校のアルバム写真を使いながら、戦争の担い手を育てる教育が行われていたことを話されました。

 空襲は、1945年3月の東京大空襲から、各地方都市に広がっていったのだそうです。津の空襲は全部で7回。7月の2回の空襲では11万発の焼夷弾を浴び、私たちの校区である養正地区を中心に、岩田橋から半径1200mの範囲は焼け野原になったのだそうです。そして、4月、6月と7月の2回の空襲で、推定2500人もの尊い命が失われているのだそうです。私の母も当時、この範囲に住んでいたので、空襲の中を逃げたこと、家が焼夷弾で焼失したことを話していたことがあり、亀井さんの話と重なりました。皆さんの身近な方の中にも、悲しい思いをされている方がいらっしゃるのではないでしょうか。

 昭和20年7月28日、今の三重大病院の近くの家で寝ていた2年生のカノンさんは、深夜にお母さんにたたき起こされます。外を見ると街が燃えて真っ赤になっています。頭に鍋をかぶるように言われ、お母さんと姉弟と一緒に親戚の家に避難するため津駅に向かいました。焼夷弾が雨のように降り注ぐ空を見ながら夢中で歩いたので、他のことは覚えていません。津駅から列車に乗り、街が燃えている様子を窓から見ながら阿漕駅を通過します。そのときの様子を描いたカノンさんの絵がスライドに映し出され、穏やかに話をされるのを聞いて、頭の中でその映像が思い浮かぶようでした。

 終盤には、古河の大銀杏のお話をされました。終戦後、焼夷弾で傷だらけになった大銀杏の木の下から東の方向を見ると、焼け野原の向こうに青い海が見え、津観音の観音様がすぐそこにあるように見えたそうです。大空襲の火事の中を生き抜いた大銀杏の木は、津の平和のシンボルなのかも知れません。カノンさんは、「皆さんは、戦争を体験した人から、直接話を聴くことのできる最後の世代です。私たちの住む街も、戦争を経験したことを語り継いでほしい。今も世の中には、戦争や紛争がある。戦争は、当たり前の日常を奪うものです」と話されました。

 講演のあと、「しっかり聴いてくれたので、嬉しかった」と言って帰られました。大銀杏の木を見るたびに、戦争のない平和な社会にすることを誓いたいと思いました。
16:54